リンリンランランの現在は何してる?現在の画像は?留園のCMソングや留園の今も調査!

リンリンランランの現在は何してる?現在の画像は?留園のCMソングや留園の今も調査! アイドル(あの人は今)

1970年代、日本中を魅了した双子のアイドルデュオ「リンリンランラン」さん。

当時の記憶が蘇る「恋のインディアン人形」や「恋のパッコンNO.1」は今も語り継がれる名曲ですが、リンリンランランさんは現在どうしているのでしょうか?

最近はテレビで見る機会もなくなりましたが、実は“あの有名CM”や“現在の姿”についても驚きの情報があるんです。

さらに、あの中華料理店「留園」の現在も気になるところ…。この記事では、リンリンランランさんたちの「今」と懐かしの時代をじっくり追いかけます。

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リンリンランランの現在は何をしてる?引退後テレビ出演も

15歳のリンリンランラン

15歳のリンリンランラン 【出典:東スポ

リンリンランランの現在は結婚してアメリカで主婦をしていた!

かつて1970年代の日本で数々のヒット曲を飛ばし、一世を風靡した双子姉妹のポップデュオ、リンリンランランさん。

リンリンランラン「恋のパッコンNO.1」

リンリンランラン「恋のパッコンNO.1」【出典:STEREO RECORDS

お二人は1959年1月3日生まれということで、2025年9月現在、年齢は66歳になります。

そんなリンリンランランさんですが、現在は芸能界を引退しており、日本での活動はしていません。

姉のリンリンさん(本名:Letilia Barber/鮑樂德さん)は1980年に結婚し、アメリカのアリゾナ州で家庭を築いています。

妹のランランさん(本名:Katharine Barber/鮑家德さん)も1982年に結婚し、現在はカリフォルニア州に住んでいるようです。

お二人ともすでに母となり、芸能活動からは離れ、アメリカでの生活を中心にしているとのことです。

かつての華やかな舞台から離れた現在、リンリンランランさんは穏やかな主婦としての人生を歩んでいます。

リンリンランランは芸能界引退後何度かテレビ出演も!

過去には日本のテレビ番組の企画で一日限りの再結成を果たしたこともあり、その際には「恋のインディアン人形」を久しぶりに披露し、往年のファンを喜ばせました。

また、1990年代にもテレビの特番などで何度か再登場しており、完全に芸能界と縁を切ったわけではなかったことがわかります。

2008年には過去の名曲を集めたベストアルバム『GOLDEN☆BEST リンリン・ランラン』がビクターエンタテインメントから発売され、あらためて当時の音楽的魅力が評価される機会もありましたが、それ以降は表舞台に立っていないようです。

リンリンランラン ゴールデンベスト

リンリンランラン ゴールデンベスト 【出典:amazon

ということで、現在のリンリンランランさんは新しい楽曲のリリースやテレビ出演といった表立った活動は一切行っていません。

リンリンランランは日本で引退後は香港で活動していた時期も!

上述のように、表立った活動は一切行っていないリンリンランランさんですが、一部では、リンリンさんの娘が歌手志望であったという情報もあり、もしかすると次の世代がステージに立つ日が来るかもしれません。

ただ現時点では公式な芸能活動の続報は出ていません。

ファンにとっては少し寂しいニュースかもしれませんが、かつてのアイドルがそれぞれの人生を大切に、家庭を築き、海外で静かに暮らしているというのは、とても素敵なことでもあります。

なお1970年代に日本での活動を終えた後、香港に戻り桜田淳子さんや岩崎宏美さんの楽曲を広東語でカバーするなどの活動を続けていましたが、それも現在は行っていないようです。

桜田淳子「わたしの青い鳥」

桜田淳子「わたしの青い鳥」【出典:amazon

もはや「歌手リンリンランラン」ではなく、「普通のお母さんリンリンさんとランランさん」としての人生を歩んでいるのです。

リンリンランランの現在の画像は?昔と変わった?

リンリンランランさんは長いおさげ髪で登場し、当時のテレビや雑誌のグラビアでも頻繁に見かける存在でした。

日本で活躍していた頃のリンリンランラン

日本で活躍していた頃のリンリンランラン 【出典:lastfm

そんなリンリンランランさんたちの現在の画像は存在するのでしょうか?

結論から言うと、現在のリンリンランランさんの画像はごくわずかですが、いくつか確認されています。

たとえば1990年代に日本のテレビ番組の特別企画で1日限りの再結成を果たした際、その姿が一時的にメディアに登場しました。

1990年代のリンリンランラン

1990年代のリンリンランラン

その際のリンリンさんとランランさんは、すっかりアメリカナイズされた印象で、体型も当時とは変わっていたようです。

また、1999年にもテレビ番組の特集に出演し、当時の楽曲を披露するシーンがありました。

そのときの様子を見た人々の証言によれば、姉のリンリンさん、妹のランランさんともにふくよかな体型で、過去のアイドルの面影を残しながらも年齢を重ねた自然な姿を見せていました。

ただし、現在に至るまで、公式な場で最新の写真を発表したり、SNSを通じて自らの姿を発信したりしているわけではありません。

そのため、リンリンランランさんたちの“現在の画像”は、主に過去にテレビ番組で取り上げられたときのものや、再結成時に流れた映像から静止画として取り出されたものが中心となっています。

とはいえ、そうした限られた写真の中からも、リンリンランランさんが年月を経てどのように変化したのかを垣間見ることはできます。

また、リンリンさんには上述のように、歌手志望の娘さんがいるという情報もあり、今後もし娘さんがメディアに登場するようなことがあれば、そこから間接的にリンリンさんの近影が注目される機会もあるかもしれません。

ですが、現時点では家族ぐるみでメディアに登場したり、SNSを通じて情報を発信したりということは行われていないようです。

ネット上では「現在の画像が見たい」「今はどんな風になっているの?」といった声が絶えずありますが、それだけリンリンランランさんたちが当時どれだけ人々の記憶に強く残る存在だったのかを物語っています。

リンリンランランといえば留園CMソング!留園は今?

リンリンランラン

リンリンランラン

リンリンランランといえば留園CMソング!リズミカルなフレーズが特徴♪

リンリンランランさんたちの代表的な仕事のひとつとして語り継がれているのが、高級中華料理店「留園(りゅうえん)」のCMソングです。

このCMは、当時テレビで繰り返し流れていたことから、リンリンランランさんを知る人の記憶には今でも強く残っています。

そのCMソングは、シンプルで覚えやすく、リズミカルなフレーズが特徴でした。

♪リンリン ランラン 留園
リンリン ランラン 留園
留園 行って 幸せ、たべよぉぉ〜♪

この歌詞は、何度も繰り返すことで耳に残るように作られており、「留園」という名前の印象を強く視聴者に焼き付けることに成功しました。

CM映像では、リンリンランランさんが料理を楽しんでいるようなシーンに、この軽快なメロディが乗せられており、まさに“幸せを食べに行く”というコンセプトが視覚と聴覚の両面から訴えかけられていました。

このCMの放映当時、リンリンランランさんは「恋のインディアン人形」や「恋のパッコンNO.1」などのヒット曲で人気絶頂期にあり、その知名度と明るいイメージが「留園」のブランディングに大きく貢献したと考えられています。

テレビでこのCMが流れると、思わず口ずさんでしまうような、そんな印象深いCMソングだったのです。

さらにこのCMが特別だったのは、その店「留園」自体が非常に高級な中華料理店であったという背景です。

東京都港区芝公園にあり、東京プリンスホテルのすぐ近くにそびえ立っていたその建物は、中国様式の建築で300坪という広大な敷地を持ち、最大800名の収容が可能な巨大レストランでした。

営業当時の留園

営業当時の留園

豪華な内装、専門の厨房が4つもある本格的な中華料理の殿堂とも言える店に、リンリンランランさんの明るいCMソングが華を添えたのです。

当時の視聴者やお客さんの多くが、「リンリンランラン=留園のイメージ」を自然と結びつけており、その影響力は絶大でした。

実際、「りゅうえん」という名前を聞くと、あのCMソングが脳内再生されるという人も多く、「リンリンランラン 留園」というキーワードは、1970年代を代表する“記憶に残るCM”のひとつとして定着しました。

さらに、このCMソングは後年、インターネット掲示板やブログなどでもたびたび話題に上がり、「子どもの頃に聞いた記憶がある」「今でも歌える」といった投稿が多く見られるなど、長年にわたり人々の心に残り続けている名曲となっています。

留園は今どうなってる?まだ営業しているの?

かつて東京都港区芝公園に存在していた高級中華料理店「留園(りゅうえん)」は、1970年代において東京を代表する中華の名店として知られていました。

中国様式の建物が目を引くその外観と、格式高い内装、広々とした宴会場などが特徴で、まさに“東洋一”とも称されるような豪華なレストランだったのです。

創業は1960年(昭和35年)、オーナーは盛毓度(セイイクド)氏という人物で、戦前に日本に留学し、京都大学で学んだ経歴を持つ文化人・実業家でした。

留園はただの飲食店という枠を超え、日中友好の社交場としての役割も果たしており、訪れる客層も政財界の要人や文化人など、非常にハイレベルな層がいる程でした。

建物自体も非常に大規模で、敷地は約300坪、中国伝統建築を忠実に再現した構造で、内装や調度品には贅を尽くした装飾が施されていたといいます。

料理も、北京・上海・四川・広東・福建の四つの地方料理をそれぞれ独立した厨房で提供しており、厨房だけで4つに分かれていたという徹底ぶりです。

営業当時の留園

営業当時の留園

レストランホール、バーラウンジ、貴賓室、ロビーなども完備され、スタッフは100名以上、まさに、当時の東京における「別格の中華料理店」でした。

しかしながら、そんな豪華絢爛だった留園も、時代の流れとともにその姿を消すことになります。

1980年代後半にはすでに閉店し、その後しばらくの間は話題に上ることも少なくなっていきました。

そして現在、かつて「留園」があった場所には、その名を冠した「留園ビル」が建っています。

現在の留園ビル

現在の留園ビル 【出典:CBREHP

この留園ビルは、1989年6月に竣工した地上11階・地下1階の中規模オフィスビルで、所在地は東京都港区芝公園1-3-1。

 

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最寄り駅は都営三田線の御成門駅で徒歩1分、さらに都営浅草線の大門駅や山手線の浜松町駅からも徒歩圏内という、非常に便利な立地にあります。

アクセスの良さから、現在ではさまざまな企業が入居する商業ビルとして機能しています。

建物名に「留園」と残っていることで、当時の面影をかすかに伝えてはいますが、現在は中華料理店の跡形もありません。

往年のファンの中には、あの壮麗な中国様式の建物を記憶している人も多く、「またあの建物を見てみたい」と懐かしむ声もネット上で見られます。

しかし今では、現代的なオフィスビルがそこに立っており、往年の留園を知る人にとっては少し寂しさを感じるかもしれません。

リンリンランランのプロフィールや経歴は?

リンリンランラン

リンリンランラン 【出典:billboardjapan

リンリンランランプロフィール
名前 リンリン ランラン
本名 鮑樂德 鮑家德
出身 香港 香港
生年月日 1959年1月3日 1959年1月3日
身長 不明 不明
血液型 不明 不明

リンリンランランさんは、1970年代に日本で人気を博した双子の女性ポップデュオで、香港出身の一卵性双生児です。

姉のリンリンさん(本名:Letilia Barber/鮑樂德さん)と妹のランランさん(本名:Katharine Barber/鮑家德さん)は、1959年1月3日にイギリス領香港で生まれました。

父親はアメリカ人、母親は中国人(香港出身)という国際的な家庭で育ち、ふたりはハーフの美少女として注目されました。

リンリンランランさんたちはもともと、1972年頃から香港で「樂家姊妹(ロッカーシスターズ/The Lokka Sisters)」という名義で芸能活動をしており、歌やダンスの才能を生かして現地のメディアにも出演していました。

その後、日本のスカウトの目にとまり、来日。

岡山県にある「オフィス星野」で日本語やダンスを学んだのち、サンミュージックプロダクションに所属し、1974年に本格的に日本デビューを果たしました。

日本でのデビューは、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』のアシスタントとして。

 

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ここでの可愛らしいビジュアルと流暢な日本語、明るい笑顔が話題を呼び、すぐに芸能界で注目される存在となります。

そして1974年4月15日、ビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント)より「恋のインディアン人形」で歌手デビュー。

リンリンランラン「恋のインディアン人形」

リンリンランラン「恋のインディアン人形」【出典:diskunion

このデビュー曲がいきなりオリコンチャートで最高27位を記録し、約8万4千枚のセールスを記録するヒット作となります。

この曲のインパクトあるタイトルとメロディ、そしてかわいい衣装と長いおさげ髪というビジュアルは、当時のアイドルとしては非常に個性的で、すぐに人々の記憶に残る存在となりました。

その後も、「陽気な恋のキューピッド」「恋のパッコンNO.1」「ノックは暗号」「恋の雨音」「恋はラブ・ラブ」「小さなプロポーズ」など、次々とシングルをリリースし、短い期間ながらも確かな人気を築きました。

リンリンランラン 「恋はラブ・ラブ」

リンリンランラン 「恋はラブ・ラブ」 【出典:ヤフーショッピング

音楽活動と並行して、テレビ出演も数多くこなし、TBSのドラマ『時間ですよ・昭和元年』へのゲスト出演や、NHKのクイズ番組『ハテナゲーム』にもレギュラーで出演するなど、多方面で活躍しました。

また、桜田淳子さんや岩崎宏美さんらと共演することも多く、特にサンミュージック所属だった桜田淳子さんとはグラビアやイベントなどでペアを組むことがたびたびありました。

リンリンランラン 「ノックは暗号」

リンリンランラン 「ノックは暗号」【出典:楽天市場

当時は、「花の中三トリオ」などと並び、「香港からやってきたハーフアイドル」として珍しさもあって強い注目を集めていたのです。

芸名の「リンリンランラン」は、上野動物園で人気だったパンダの「カンカン」と「ランラン」にちなんで命名されたというエピソードもあり、日本の視聴者にとって親しみやすい存在として受け入れられました。

1975年には3枚目のアルバム『夢の世界』をリリースするなど、アイドル歌手としての活動を続けましたが、1976年の「小さなプロポーズ」を最後に、日本での音楽活動は徐々にフェードアウトしていきます。

リンリンランラン 「小さなプロポーズ」

リンリンランラン 「小さなプロポーズ」【出典:amazon

その後は香港に戻り、桜田淳子さんや岩崎宏美さんの日本の楽曲を広東語でカバーするなどの音楽活動を行っていました。

1980年代に入る頃には芸能活動を事実上引退。

姉のリンリンさんは1980年に、妹のランランさんは1982年にそれぞれ結婚し、現在はアメリカで家庭を築いています。リンリンさんはアリゾナ州、ランランさんはカリフォルニア州に在住しており、芸能界からは離れて普通の生活を送っています。

リンリンランランまとめ

リンリンランラン 「恋の雨音」

リンリンランラン 「恋の雨音」 【出典:snow records

かつて「恋のインディアン人形」で人気を集めた双子デュオ、リンリンランランさんは、現在芸能界を引退し、姉のリンリンさんはアリゾナ州、妹のランランさんはカリフォルニア州で主婦として暮らしています。

テレビ出演は1990年代以降数回あったものの、近年は完全に表舞台から離れています。

現在の画像は公式にはほとんど公開されておらず、再結成時の映像から確認できる程度です。

そんなリンリンランランさんたちの印象深い仕事のひとつに、高級中華料理店「留園」のCMがあります。

リズミカルな「リンリンランラン留園〜」の歌は多くの人の記憶に残り、店の知名度向上に貢献しました。

留園は1980年代後半に閉店し、現在は「留園ビル」として企業テナントが入るオフィスビルとなっています。

当時の華やかな姿は見られませんが、その名は今も建物に刻まれています。

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