彩羽真矢は結婚してた!夫はどんな人?離婚してる?宝塚時代や退団理由に本名も調査!

彩羽真矢は結婚してた!夫はどんな人?離婚してる?宝塚時代や退団理由に本名も調査! アイドル

元宝塚男役として知られる彩羽真矢さん。

華やかな舞台を経て、今ではYouTuberやタレントとして幅広く活躍していますが、実はかつて結婚していた過去があることをご存じでしょうか。

しかもそのお相手は意外な人物だったとか…。

そして現在は再び新しい人生を歩み始めているようです。

宝塚時代の秘話や退団の理由、本名や経歴まで、この記事では、知られざる彩羽真矢さんの人生の舞台裏を深掘りします。

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彩羽真矢は結婚していた!夫はどんな人?

ウエディングドレスを着る彩羽真矢

ウエディングドレスを着る彩羽真矢 【出典:彩羽真矢ブログ

彩羽真矢は結婚していた!2013年に結婚!

彩羽真矢さんには、実は「結婚していた過去がある」ということをご存じでしょうか。

彩羽真矢さんが結婚をしたのは、2013年12月のことです。

入籍した当時は、まだテレビやYouTubeで今のような派手な活動はしておらず、芸能活動も模索中の時期でした。

しかしそんな時期に、彩羽真矢さんはとても大切な一歩を踏み出していたのです。

結婚については、大々的にメディアで報道されたわけではありませんでしたが、ご本人の口から語られたことでファンの間でも知られるようになりました。

何より注目されたのは、お相手が“とても身近な人”だったという点です。

じつは彩羽真矢さんが結婚した相手は、小学校時代の同級生だったのです。

長年の友人関係を経て、やがて夫婦となったというストーリーには、多くの人が驚いたことでしょう。

彩羽真矢の夫はエリートだった!

では、その気になるお相手、彩羽真矢さんの“夫”はどんな人だったのでしょうか。

彩羽真矢さんの結婚相手は、小学校のときからの同級生で、獣医師として働く男性でした。

つまり、芸能人ではなく、一般の仕事をされている方だったんです。

獣医師といえばエリートですね!

小学生の頃から知っている関係というのは、信頼も深く、お互いに安心できる存在だったのではないかと思われます。

この男性については、顔写真や本名などのくわしい情報は公開されていません。

芸能人ではないため、プライバシーを守る意味でも、ご本人はあまり多くを語ってはいませんが、「とても優しい人」で「理解のある人」だったということが、彩羽真矢さんの発言から伝わってきます。

もともと宝塚時代を終えてからの彩羽真矢さんは、自分らしい生き方を模索していた時期。

 

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そんな中でも、パートナーとなった男性は、彩羽真矢さんの自由な生き方や夢を応援してくれる存在だったようです。

仕事のこと、夢のこと、将来のこと……真剣に悩み、語り合える関係でなければ、夫婦としてやっていくのは難しいですよね。

そういった意味でも、夫は彩羽真矢さんにとってかけがえのない“心の支え”だったのでしょう。

彩羽真矢は現在は離婚している!再婚の噂がある?

 

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彩羽真矢は2015年に離婚している!

彩羽真矢さんですが、実は現在は離婚をしており、シングルライフを歩んでいることがわかっています。

彩羽真矢さんが離婚をしたのは、2015年のことです。

30歳を迎える直前、大きな人生の岐路に立ち、「離婚」という決断を下しました。

結婚当初はまだ芸能活動も安定しておらず、ほぼ一般の女性としての生活を歩んでいた彩羽真矢さんですが、心のどこかで「本当にこのままでいいのか?」という疑問がつのっていたようです。

 

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30歳という節目を迎える前に、「自分の人生をもう一度見つめ直したい」「やりたいことを思いっきりやってみたい」という強い思いが芽生え、彩羽真矢さんは夫と話し合いを重ねたうえで、円満に離婚という選択をしたと語っています。

夫婦関係がうまくいっていなかったというわけではなく、むしろお相手の男性はとても理解のある優しい人で、彩羽真矢さんの気持ちを尊重してくれたのだそうです。

この離婚が決してネガティブなものではなかったという点は、彩羽真矢さんのその後の活躍を見れば明らかです。

離婚をきっかけに、彩羽真矢さんは自分の本当にやりたいこと、つまり“アイドルとしての道”を本格的に歩みはじめました。

動画配信やライブ、R-1グランプリへの挑戦など、すべてはこの離婚という人生の転機からスタートしています。

彩羽真矢に作詞家と再婚の噂がある?

彩羽真矢さんが離婚して以降、気になるのが「再婚しているのでは?」という噂です。

実際、SNSやYouTubeでの発言、そしてある人物との親密な関係が、ファンの間で話題となってきました。

そのお相手とされているのが、作詞家のyuraさんです。

彩羽真矢さんとyuraさんは、長年にわたって一緒に仕事をしてきた“盟友”のような存在です。

彩羽真矢さんのプロデュースもyuraさんが手がけており、楽曲制作の面だけでなく、イベントや舞台など、あらゆる場面で支え合ってきました。

2人の仲の良さはファンの間でも有名で、SNSなどでもたびたびツーショットが登場していました。

そんな2人の関係に大きな注目が集まったのは、2024年11月に彩羽真矢さんが「一軒家に引っ越しました」と発表したタイミングです。

この新居は150平米の広さを誇る2階建てで、なんとyuraさんと“2人で暮らし始める”という発言があったのです。

動画内でも、yuraさんを「パートナー」と紹介し、「一緒に住めるじゃん!ということになりまして」と笑顔で語っていました。

この発表を見たファンの中には、「再婚したの?」「もしかして入籍したの?」と驚く声も多く上がりましたが、現時点で「再婚した」という正式な発表はされていません。

彩羽真矢さんは、「パートナー」という表現を使っており、法的な意味での再婚ではなく、「人生のパートナー」「共同生活を送る相手」という意味合いのようです。

とはいえ、すでに家族のような深い信頼関係と絆で結ばれていることは間違いありません。

彩羽真矢さん自身も、「これからはお仕事もそうですし、パートナーとしてしっかり生活していけたら」と語っており、今後の展開にも注目が集まっています。

今のところ「再婚」ではないものの、彩羽真矢さんにとっては大切な人と一緒に人生を歩む新しいスタートなのです。

彩羽真矢の宝塚時代:目指したきっかけや退団理由は?

宝塚音楽学校合格発表の際の彩羽真矢

宝塚音楽学校合格発表の際の彩羽真矢 【出典:デイリースポーツ

彩羽真矢が宝塚を目指したきっかけは?

彩羽真矢さんが宝塚歌劇団に興味を持ったのは、中学3年生のときのことでした。

たまたまテレビで宝塚の舞台を目にし、それまで抱いていた「女の人が男役をやるなんて正直ちょっと気持ち悪いかも……」という先入観が一気に覆されたのです。

舞台の華やかさ、演者たちの凛々しさ、そしてきらびやかな世界観に圧倒され、「まるで漫画がそのまま飛び出してきたような、本物のコスプレの世界だ!」と心を奪われたといいます。

その瞬間から「私も歌って踊る側になりたい」と強く願うようになり、宝塚音楽学校の受験を決意しました。

彩羽が宝塚に出会ったのは、中学3年生の頃。テレビで、ふと宝塚歌劇団のステージを見たときのことだ。「それまでは、女の人が男をやるなんて気持ち悪いと思っていたんです、でもテレビで見て『漫画が飛び出してきたような世界、本物のコスプレだ!』と感動して、私も歌って踊りたいと思いました」

【引用元:ラジオ関西

宝塚音楽学校時代の彩羽真矢

宝塚音楽学校時代の彩羽真矢 【出典:デイリースポーツ

 

とはいえ、クラシックバレエや声楽の経験もほとんどなかった彩羽真矢さんにとって、宝塚への道は決して平坦なものではありませんでした。

実際に受験を決めたのは軽い気持ちだったものの、パンフレットを取り寄せたときに記されていた「容姿端麗」「クラシックバレエ経験者」「声楽の基礎がある人」といった条件を目にして、「本気で努力しないと受からない」と覚悟を決めたと語っています。

そこからは、毎朝5時に起きて自主練、学校が終わればレッスン、週末は東京の受験スクールに泊まり込みで通うという過酷な生活を2年間続け、倍率20倍の狭き門を突破して宝塚音楽学校に合格しました。

彩羽真矢の宝塚時代の活躍は?

彩羽真矢さんは、2004年に宝塚歌劇団に90期生として入団し、宙組(そらぐみ)に男役として配属されました。

宝塚音楽学校時代の彩羽真矢

宝塚音楽学校時代の彩羽真矢 【出典:彩羽真矢ブログ

身長170cmという高身長と、スラリとしたスタイルを活かした舞台での立ち姿が魅力的で、ファンの間でもひそかな注目を集めていました。

入団時の成績は31番で、決して上位ではなかったものの、彩羽真矢さんの努力とひたむきな姿勢は、多くの同期生やファンの記憶に強く残っています。

初舞台は雪組公演の『スサノオ/タカラヅカ・グローリー!』で、その後、宙組に正式配属されます。

彩羽真矢の宝塚時代

彩羽真矢の宝塚時代

2005年には『ホテル ステラマリス』『レヴュー伝説』、同年夏には『炎にくちづけを』『ネオ・ヴォヤージュ』に出演。

男役として、舞台上で力強くも華やかな雰囲気を放ち、着実に経験を重ねていきました。

2006年には大作『NEVER SAY GOODBYE』で新人公演に抜擢され、「ホアキン」という役で本役の珠洲春希さんの代役を務めました。

これは当時の彩羽真矢さんにとって、大きなチャンスになったと思われます。

また、バウホール公演『UNDERSTUDY』ではローレンス・マクビー役に挑戦し、より深みのある演技力も磨いていきました。

2007年にはバウホール・日本青年館で上演された『NEVER SLEEP』にて、ジェラルド・リリエンタールという役柄を演じ、また同年の宙組本公演『バレンシアの熱い花/宙FANTASISTA!』でも新人公演で役付きに抜擢。

着実にその存在感を高めていきました。

しかし、2008年2月から始まった『黎明の風/Passion 愛の旅』が、彩羽真矢さんにとって最後の舞台となりました。

この作品は東京公演まで巡業し、千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団することになります。

彩羽真矢さんの宝塚時代は、スター路線を走っていたわけではないものの、裏方で努力を重ね、着実に舞台の中で存在感を示していくタイプの男役でした。

彩羽真矢の宝塚退団理由が切なかった・・・

彩羽真矢さんが宝塚歌劇団を退団したのは、2008年5月18日

宝塚を退団した日の彩羽真矢

宝塚を退団した日の彩羽真矢 【出典:デイリースポーツ

東京宝塚劇場で行われた宙組公演『黎明の風/Passion 愛の旅』の千秋楽をもって、約4年のタカラジェンヌ人生に幕を下ろしました。

その退団には、いくつかの複雑な心の葛藤があったことを、本人がのちに明かしています。

まず大きな理由の一つが、「本当は娘役をやりたかった」という思いです。

彩羽真矢さんはもともと、宝塚を目指したときに娘役に憧れていました。

可憐で華やかなドレス、繊細な声、優雅な立ち居振る舞い。そんな娘役の姿に強く惹かれていたのです。

しかし、170cmという高身長ゆえに、男役としての道を選ばざるをえなかったことに、ずっと小さな違和感やモヤモヤを抱えていたと語っています。

続いて二つ目の理由が、「宝塚の厳しい上下関係や競争社会の現実」です。

男役としての道を選ばざるをえなかった彩羽真矢さんですが、「宝塚に入れた喜び」と「憧れの舞台に立てる嬉しさ」で頑張っていました。

しかし、入団後まもなく、厳しい上下関係や競争社会の現実が彩羽真矢さんの心にのしかかってきました。

周囲は小さな頃からクラシックバレエや声楽を何年も学んできた才能ある人ばかりで、舞台で注目される“スター候補生”も限られています。

そうした中で「自分は一番なんだ」と思っていた自信が打ち砕かれ、「上には上がいる世界」に直面したことで、自信を失っていきました。

中には、見た目について「ブサイク」などの言葉をかけられ、心に傷を負ったこともあったとのこと。

とはいえ、そんな中でも彩羽真矢さんは、「宝塚を嫌いになって辞めたくない」「男役に文句を言って辞めることだけはしたくない」と強く思っていました。

そのため、せめて舞台の中で“ひと言でもセリフをもらってから辞めよう”と、自分の中で退団のラインを決めていたそうです。

そして、ついに入団5年目となる2008年の舞台で、念願だった「ひと言のセリフ」を与えられたことで、「このタイミングなら辞めてもいい」と気持ちの整理がついたと語っています。

「本当は娘役をやりたかったという気持ちとか、上下関係も厳しい世界というのもあって……。入るまでは『自分が1番』って思っていたんですけど、入ってみたら上には上がいる世界で、成績も悪かった。『全然ダメなんだ……』っていう自分の弱さが出てきちゃって。『ブサイク』って言われたりして、当時、真面目だったからショックで。もうみんなのようにスターになんかなれないって思っちゃって」やがて、一言でも大舞台でセリフをもらえたらやめようと決心し、実現した時点で退団を決めた。

【引用元:ラジオ関西

最後の公演では、宝塚大劇場と東京宝塚劇場の両方でその役を演じ切り、有終の美を飾る形となりました。

その後、彩羽真矢さんは「男役として頑張った経験が、今の自分の表現にとても役立っている」とも話しており、過去を否定せず、しっかりと力に変えて次のステージへと進んでいきました。

彩羽真矢のプロフィールや経歴・学歴

彩羽真矢

彩羽真矢 【出典:彩羽真矢ブログ

彩羽真矢のプロフィール:本名は北野あさみで栃木県出身!

彩羽真矢さんは、栃木県宇都宮市出身のタレント・YouTuber・歌手・女優で、そのキャッチフレーズは「元宝塚男役・現役アイドル・永遠の30歳!」というインパクトのあるものです。

現在は関西を拠点に、テレビやラジオ、イベント、舞台、そしてYouTubeなど、さまざまなメディアでマルチに活動しています。

本名は「北野あさみ」さん。

生まれたのは埼玉県富士見市ですが、小学4年生のときに栃木県宇都宮市に引っ越し、以後は栃木で育ちました。

身長は170cm、血液型はB型です。

宝塚ファンからは「チャミ」の愛称で親しまれていますが、これは本名の「あさみ」から「しゃみ」→「チャミ」と変化したニックネームだそうです。

彩羽真矢の経歴・学歴

学歴については、小学校、中学校は残念ながら不明ですが、高校は地元の栃木県立壬生高校に進学しました。

壬生高等学校の創立記念式で講演をした彩羽真矢

壬生高等学校の創立記念式で講演をした彩羽真矢 【出典:彩羽真矢ブログ

壬生高校といえば、元AKB48の大島優子さんの出身校としても知られています。

この高校に通いながら、宝塚音楽学校の受験準備を続けていた彩羽真矢さん。

高校1年生で一度受験に失敗しますが、翌年に再挑戦し、20倍という超難関の倍率を突破して見事合格を果たしました。

この時点で高校は中退し、宝塚音楽学校に進学

2年間の厳しいレッスンを経て、宝塚歌劇団へと進みますが、2008年に退団。

彩羽真矢さんが特に注目を集めるようになったのは、宝塚退団後のユニークな挑戦にあります。

当初はイベントコンパニオンのアルバイトなどをしながら模索していた時期もありましたが、やがてYouTubeでの動画配信を始めると、男装して「アイドルマスター」のダンスを踊る“踊ってみた”動画が大バズり。

なんとYahoo!動画ランキング1位を獲得し、一躍注目の存在となりました。

この動画をきっかけに、「ちゃんとしなきゃいけない」という元宝塚の殻を破り、自分の“好き”を思い切り表現する道を選びます。

そして「歌って踊れるアイドル」としてデビューを目指し、クラウドファンディングでCD制作費を集めると、200万円以上の支援が集まり、2015年にはついにシングル『デビュー!!』をリリースしました。

その後も活動の幅はどんどん広がり、料理をしながら雑談する配信や、ファンとの交流、さらには「骨折エンターテイメント」と題したパーカーやマグカップの販売など、企画力とサービス精神にあふれる発信が多くのファンを惹きつけています。

また、彩羽真矢さんの魅力は、笑いやユーモアだけではありません。

2024年には京都・亀岡市で行われた「ももクロ春の一大事」に出演したことをきっかけに、地域との縁が深まり、2024年10月には「京都・かめおか観光PR大使」に就任しました。

一日警察署長や観光イベントの参加、かめまるマートでの一日店長など、地域に根ざした活動にも意欲的に取り組んでいます。

 

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彩羽真矢まとめ!

彩羽真矢さんは、元宝塚歌劇団の男役として活躍した後、現在はYouTuber・タレント・歌手として活動しています。

そんな彩羽真矢さんには、2013年12月に小学校時代の同級生で獣医師の男性と結婚していた過去があります。

夫は優しく理解のある性格で、芸能活動を応援してくれる存在でしたが、2015年に話し合いの末に円満離婚をしています。

30歳を迎える前に「自分の人生をもう一度見つめ直したい」と決意したことで、新たな道を切り開いたのです。

離婚後はYouTubeや舞台で活躍の場を広げ、夢だった「アイドル」としての活動を本格化させました。

現在、作詞家のyuraさんと、同居生活を始めたことも話題となっています。

宝塚では宙組の男役として努力を重ね、2008年に退団

実は本当は娘役志望だったものの、高身長ゆえに男役を担当しました。

厳しい上下関係や競争の中で悩みながらも、「一言でもセリフをもらえたら辞めよう」と決意し、有終の美を飾ったのです。

退団後は本名・北野あさみとして活動を再スタート。

栃木県立壬生高校出身で、現在は「永遠の30歳」として関西を中心にメディアやイベントで幅広く活躍しています。

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