アイジョージの妻はどんな人?家族は?気になる現在や身長などプロフィールも調査!

アイジョージの妻はどんな人?家族は?気になる現在や身長などプロフィールも調査! アーティスト(あの人は今)

昭和の音楽シーンを彩った名曲を数多く残した歌手・アイ・ジョージさん。

ラテンの風を感じさせる情熱的な歌声とともに、紅白出場12回を誇るその存在はいまも多くの人の記憶に刻まれています。

しかし、その華やかな活躍の裏には、あまり知られていない波瀾万丈な人生と、ベールに包まれた私生活がありました。

果たして、アイ・ジョージさんの妻はどんな人物だったのか?両親や子供などの家族は?そして気になる現在は?

本記事では、そんなアイ・ジョージさんの素顔に迫ります。

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アイ・ジョージの妻はどんな人?

アイ・ジョージ

アイ・ジョージ 【出典:日本経済新聞

アイ・ジョージの妻はどんな人?モデル風美女?

アイ・ジョージさんは、日本の音楽界に大きな影響を与えた歌手の一人であり、「硝子のジョニー」や「赤いグラス」など数々の名曲を世に送り出しました。

アイ・ジョージ 「硝子のジョニー」

アイ・ジョージ 「硝子のジョニー」 【出典:amazon

そんなアイ・ジョージさんの私生活、特に「妻はどんな人だったのか?」という点に注目が集まっています。

まず、アイ・ジョージさんが結婚したのは1967年のことでした。

お相手となったのは、実業家の娘さんであり、当時から裕福な家庭に育った方だったと伝えられています。

ただし、この奥さんに関する詳しいプロフィールや名前、職業などは一般には公開されておらず、メディアでも多くは取り上げられていません。

そのため、「どんな人なのか」「どのような夫婦生活を送っていたのか」といった点はベールに包まれたままとなっていますが、写真はあり、スレンダーなモデル風の美女ということがわかります。

アイ・ジョージ(左)と妻(右)

アイ・ジョージ(左)と妻(右) 【出典:NEWSポストセブン

結婚生活は約10年ほど続きましたが、1977年に離婚が成立しています。

その間にお子さんも一人誕生していますが、離婚後の奥さんの行方や、お子さんとの関係性についても、具体的な情報は出ていません。

当時の芸能界ではプライベートな部分をあまり明かさない傾向があり、特に家庭のことについては本人も多くを語らなかったようです。

結婚当時のアイ・ジョージさんは、まさに歌手として絶頂期を迎えていた時期で、テレビや映画にも数多く出演し、ラテン歌謡の第一人者として大きな注目を浴びていました。

そんな中での結婚は、業界でも話題になりましたが、本人は家庭について多くを語ることなく、あくまでも「アーティスト」としての姿勢を貫いていたのが印象的です。

アイ・ジョージと妻の離婚理由は仕事やお金のトラブル?

離婚の理由についても、はっきりとしたことは明かされていません。

しかし一部では、六本木にオープンしたメキシコレストランの経営が失敗に終わったことや、小笠原に開いた釣りの店の経営難、さらに後に抱えることになった数億円規模の借金など、仕事やお金にまつわるトラブルが家庭にも影響したのではないかという見方もあります。

また、離婚後も奥さんに関する新しい情報や再婚の報道などは確認されていません。

アイ・ジョージさん自身も、その後は再婚したという情報もなく、独身を貫いていたと思われます。

こうしたことからも、アイ・ジョージさんの妻に関する情報は非常に限られており、アイ・ジョージさんの私生活そのものがミステリアスであったことがわかります。

アイ・ジョージの家族はどんな人?両親や子供を調査!

アイ・ジョージ

アイ・ジョージ 【出典:NEWSポストセブン

アイ・ジョージの父親はビジネスマンで母親はフィリピン人!

まずアイ・ジョージさんの家族について最も特徴的なのは、その国際的なルーツです。

1933年に当時イギリス領だった香港で生まれたアイ・ジョージさんの父親は、日本人で石油会社に勤めるビジネスマン

そして母親はスペイン系フィリピン人という、まさに多国籍なバックグラウンドを持つ家庭に育ちました。

しかし、その家族関係は決して安定したものではありませんでした。

まだ3歳という幼さで、最愛の母親を亡くしてしまいます。

以降、父親の仕事の都合で香港や大連、上海、マニラなどを転々とする日々が続きますが、生活そのものは比較的裕福で、幼少期には物質的な不自由はなかったといいます。

アイ・ジョージは孤児になったことも!

転機が訪れたのは1943年で、父親がバタヴィア(現在のインドネシア)へ出征することになり、アイ・ジョージさんは父方の祖母とともに日本へ移住

翌年には香川県へ学童疎開し、祖母とも離れて暮らすことになります。

さらに1945年、大阪に一人残されていた祖母が空襲で亡くなってしまい、事実上孤児となってしまいました。

孤独な少年時代を送るなか、長野県飯田市の果樹園に引き取られるという新たな生活が始まります。

その後、消息不明だった父親が南方から復員して再会するも、父親は体調を崩しており、たった3ヶ月の同居生活ののちに他界してしまいました。

両親を早くに失い、孤独と戦いながらさまざまな職業を経験してきたアイ・ジョージさんの人生は、まさに波瀾万丈そのものでした。

アイ・ジョージの子供は娘が一人!

アイ・ジョージの若い頃

アイ・ジョージの若い頃 【出典:BESTTIMES

そんな過去を持つアイ・ジョージさんには、子どもが一人います。

1960年代後半に誕生したとされる娘さんで、性別や人数が明らかになっているのはこの1人だけです。

ただし、この子どもに関する詳しい情報や近年の動向については、報道などでは一切明らかにされておらず、一般人としてプライバシーが守られているようです。

アイ・ジョージさんは自身の過去や家族について多くを語るタイプではありませんでしたが、若い頃に両親を失った経験は、その後の人生にも深く影響していたと考えられます。

アイ・ジョージさんが数々の情感豊かな楽曲を歌い上げることができたのも、こうした実体験に裏打ちされた人間的な深みがあったからこそかもしれません。

また、芸能関係者や音楽評論家の証言によれば、アイ・ジョージさんは家族のように親しい人たちとのつながりをとても大切にしていたといわれています。

特に晩年にかけては、親族や友人との関係が心の支えになっていたとの声もあり、長く孤独だったアイ・ジョージさんがようやく安らぎを見つけていたのかもしれません。

日本人の父親とスペイン系フィリピン人の母親、そして戦争と死別を経て一人で生き抜いてきたアイ・ジョージさんの家族史は、そのままひとつのドラマのような物語になっています。

アイ・ジョージの現在は?晩年も歌声を披露!

30歳頃のアイ・ジョージ

30歳頃のアイ・ジョージ 【出典:スポーツ報知

アイ・ジョージの現在は2025年に91歳で死去

アイ・ジョージさんが、近年どのような生活を送っていたのか、そして現在はどうしているのかについて、詳しく見ていきましょう。

まず結論からいうと、アイ・ジョージさんは2025年1月18日に、東京都内の自宅で心筋梗塞のため亡くなられました91歳でした。

この訃報は、1月20日に各メディアで報道され、多くのファンや関係者から追悼の声が寄せられました。

アイ・ジョージは晩年もイベントに出演し歌声を披露!

晩年のアイ・ジョージさんは、テレビやラジオなどの表舞台にはほとんど姿を見せていませんでしたが、完全に芸能界を引退していたわけではありません。

近しい関係者によると、「新しい仕事を楽しみにしていた」「プロデュース案件の話もあった」と語られており、常に音楽への情熱を持ち続けていたようです。

特に注目されていたのが、2022年秋に東京・中野のスナックで行われたイベントへの出演です。

この時アイ・ジョージさんは、90歳を迎えるとは思えないほど姿勢もシャキッとしていて、ジャケット姿で堂々と現れたといいます。

会場ではカラオケで「硝子のジョニー」を披露し、その圧倒的な声量とブレない歌唱力に、聴いていた人々は深く感動したそうです。

2024年にカラオケを唄うアイ・ジョージ

2024年にカラオケを唄うアイ・ジョージ 【出典:NEWSポストセブン

まるで若い頃の“流し”時代に戻ったような熱唱ぶりで、歌手としての誇りを持ち続けていたことが伝わってきます。

また、2023年頃には「80歳の新人歌手をプロデュースする予定がある」と周囲に話していたことも明らかになっており、自らが主役でなくとも、音楽に関わる仕事を積極的に引き受けようとしていた姿勢がうかがえます。

このように、年齢を重ねても決して衰えることのなかったエネルギーと好奇心が、アイ・ジョージさんの人生の原動力だったのでしょう。

アイ・ジョージの晩年は心臓にペースメーカーを入れていた

ただし一方で、長年の過労や病気の影響もあって、心臓にペースメーカーを入れていたとも伝えられています。

それでも健康そのものだと周囲には語っており、2024年の誕生日には知人の店でパーティーを開き、マッコリを片手に笑顔で歌っていたというエピソードも残っています。

2024年のアイ・ジョージ

2024年のアイ・ジョージ 【出典:NEWSポストセブン

その姿からは、最後まで「歌手・アイ・ジョージ」としてのプライドを失わなかったことがわかります。

なお、アイ・ジョージさんは「自分しか頼れない」という信念を持ち、孤独や逆境の中でも自分の力で道を切り開いてきました。

だからこそ、晩年も人に頼ることなく、自分のペースで活動を続け、自分の信じる音楽を貫いていたのでしょう。

2025年の現在、すでにこの世を去ったアイ・ジョージさんですが、その存在は今なおYouTubeやSNS、カラオケ、音楽番組などを通じて生き続けています。

アイ・ジョージさんの代表曲「硝子のジョニー」は、YouTubeでも多く再生されており、世代を超えて愛されていることがよくわかります。

アイ・ジョージの身長や年齢・経歴などプロフィールは?

アイ・ジョージさんの本名は石松譲冶(いしまつ じょうじ)さんといいます。

芸名の「アイ・ジョージ」は、本名の苗字「石松」の頭文字「I(アイ)」と、名前「譲冶(ジョージ)」から組み合わせて作られたものです。

インパクトがあり覚えやすいこの名前は、当時の音楽界でもひときわ目立つ存在でした。

生年月日は1933年9月27日で、2025年1月18日に亡くなるまで91年の人生を歩まれました。

晩年まで音楽活動への情熱を失わず、その歌声は年齢を感じさせないほど力強く、多くのファンの記憶に刻まれています。

NHK紅白歌合戦に出場したアイ・ジョージ

NHK紅白歌合戦に出場したアイ・ジョージ 【出典:NEWSポストセブン

身長については、公式な情報や報道が見当たらず、正確な数字は現在も公表されていません。

ただ、過去にテレビ出演や映画出演した際の映像などを見る限り、平均的な日本人男性よりも少し高めだったという印象を受ける人も多いようです。

当時の舞台衣装やステージでの立ち姿も堂々としており、その姿勢や雰囲気が実際以上に背を高く見せていたのかもしれません。

経歴についても非常にドラマチックで、まさに映画のような人生を歩んできた人で、歌手デビューは1953年。

テイチクのオーディションに合格し、最初は「黒田春雄」という芸名でスタートし、当時のキャッチフレーズは「第二の田端義夫」。

田端義夫

田端義夫 【出典:wiki

しかし、レコード会社と自分の音楽スタイルが合わず、ヒットに恵まれないまま契約終了。

以降は流しの歌手として全国を渡り歩きながら、自分の音楽を追求していきました。

その後、1959年に大阪の高級ナイトクラブ「アロー」で注目を集め、森繁久彌さんの舞台に出演したことが転機となります。

そして同年、メキシコから来日したトリオ・ロス・パンチョスの前座として登場したことをきっかけに、アイ・ジョージとして再デビュー。

この頃からラテン音楽を得意とする歌手としての地位を確立していきます。

1961年には自作曲「硝子のジョニー」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、一躍スターダムにのし上がります。

さらに1963年にはアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで日本人ポピュラー歌手として初めて公演を成功させるという快挙を成し遂げました。

この公演では、日本の民謡を紋付き袴姿で熱唱し、日本の文化を世界に向けて発信するという新しい挑戦でもありました。

1960年から1971年にかけては、NHK紅白歌合戦に12年連続で出場

坂本スミ子さんとの共演や、壽屋(現在のサントリーホールディングス)のCMでアンクルトリスと共演するなど、音楽だけでなく幅広いメディアで活躍しました。

坂本スミ子とアイ・ジョージ

坂本スミ子とアイ・ジョージ 【出典:日本の古本屋

また、映画俳優としても注目され、「アイ・ジョージ物語 太陽の子」や「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」などの作品にも出演し、音楽と映像の両面で存在感を放っていました。

アイ・ジョージ物語 太陽の子の一場面

アイ・ジョージ物語 太陽の子の一場面 【出典:音楽とともにあれ

その一方で、芸能活動の裏では不動産ビジネスや飲食店経営への挑戦もありましたが、経営難や数億円規模の借金などの困難も経験しています。

さらには、2000年代に入ってからのチャリティCD製作をめぐる金銭トラブルも報道され、一時は話題の中心となりました。

しかしそれでもなお、音楽への情熱だけは変わらず持ち続け、晩年に至るまで「歌手・アイ・ジョージ」としての誇りを貫いた姿は、多くの人に感動を与えています。

このように、アイ・ジョージさんの人生は決して順風満帆ではありませんでしたが、そのひとつひとつの出来事が深みのある歌声を育て、多くの名曲を生み出してきたのです。

アイ・ジョージまとめ

昭和の音楽界を代表する歌手、アイ・ジョージさんは「硝子のジョニー」などのヒットで知られ、私生活も注目されてきました。

1967年に実業家の娘と結婚し娘が一人誕生しますが、1977年に離婚

元妻や子供についての詳細は非公表で、再婚もしていません。

1933年に香港で生まれ、日本人の父とスペイン系フィリピン人の母のもとに育ちましたが、幼くして両親と死別し、孤児として厳しい環境を生き抜きます。

現在のアイ・ジョージさんは2025年1月、心筋梗塞で91歳で逝去しましたが、晩年も音楽への情熱を失わず、イベントで歌声を披露していました。

身長は非公開ながら舞台での立ち姿は堂々とし、1953年に歌手デビュー後、ラテン歌謡の第一人者として紅白にも12年連続出場。

数々の苦難を乗り越え、人生をかけて音楽と向き合い続けたアーティストでした。

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